【プレイ雑記】英語版すばひび
先日、英語版すばひび(Wonderful Everyday)を全編クリアしたのでおおよその感想を綴る。また英語版すばひびに関する日本語で読めるテキストの少なさを鑑みて、もともとの成立過程と今後の展望を記す。【ネタバレなし】
ここで「おおよその感想」と筆者が呼ぶものは批評を加えていない、一般的に雑記に近いものだと解釈していただいて構わない。むしろ日本語読者にとって、ここで何らかの批評を記すこと自体はおそらくほとんど要求されていないだろう。日本語版「素晴らしき日々~不連続存在~」(以下オリジナルと呼ぶことにする)が発売されてすでに8年近くが経過している2018年2月現在、このゲームに関する優れた批評や評論は幸いにも数多ある。批評を求める読者は、ぜひお好きな言説を探す旅に出られるのがよろしいと思う。
https://twitter.com/S_MetaPhysics/status/1014857615501811712 すばひびHDの発売日が近づくにつれてなぜか関係がうすい英語版すばひびの記事が若干伸びてますが、新規の人はむしろこっちの記事のほうが重要だと思います。
さて前書きはこの辺にして、そもそも「英語版すばひび」とは何かというところから記そう。
Wonderful Everyday Opening Movie
プレイ時間:58h
攻略順:こちら
発売日:8月31日
パッチ:あり
英語版すばひびとは
題名"Wonderful Everyday ~Diskontinuierliches Dasein~"
元のアスペクト比4:3維持で高解像度(1280×980)にアップグレード。
インターフェイスと字幕は英語のみで日本語吹き替えのみ。
18禁+パッチを当てると無修正でプレイできシナリオロックも解除される。
( パッチを当てないと序章(Down the Rabbit-Hole I)までしか遊べない)
獣姦シーンのCGは大人の事情で削除されたが、それ以外の内容の変更はない。(シーン自体はあるが暗転している)
steamspyを見るに、あまり売れていない。
HISTORY
2017年2月19日
フロントウィングがすばひびのライセンスを取得していると発表。
4月27日
フロントウィング代表山川竜一郎氏へのインタビューで成人向けゲームに取り組んでいると言及。
7月3日
「Anime Expo 2017」にてFrontwingがすばひびのローカライズを発表。
パネルディスカッションの模様
8月3日 - 8月28日
キックスターターで支援を募る。1,260 人の支援者から$105,928集まる。日本からの支援者は8人いる。
8月29日 - 10月1日
BackerKitで予約注文を開始。1,281 人の支援者から$35,594集まる。
アートブックやOST、タンブラー、キャンバスアート、さらにはウサギのぬいぐるみ、複製サイン色紙などがリワードだった。
8月31日
Steamにて発売される。価格$29.99、¥2980。
感想
見た目;
キレイになっている。
画面が大きくなり解像度も上がっていることがわかる。今回一番うれしい変化のひとつがこれだった。HD化された英語版は現代のエロゲ水準に引き上げられている。
システム面;
インターフェイスが英語になっていること以外は特に変化なし。
サウンドの英題はこちら。
音声面;
一部音声がおかしい部分があった。これについては考えられる原因がある。オリジナルではひとまとまりで表示されたテキストが、英語版でいくつかの文章に分割されて表記されているケースがあった。それに伴って、もともとの音声が分割されて、切れ目の度合いによっておかしな音声に聞こえたのではないだろうか。これは実際に該当箇所を比較したわけではないのであくまで推測の域にある。
テキスト面;
字幕は見やすいが、哲学が始まると本腰を入れて臨まなければいけない。台詞が日本語であるため英文テキスト単体より幾分理解がスムースになる。その分、表記されたテキストとの内容上の乖離、違和感を覚えた。
翻訳について
英語版は主語と述語がしっかり明記されていることが多いためにオリジナルより文法上のわかりやすさがある。そのおかげか、オリジナルのわかりづらかった(あるいは勿体ぶった)文章が整然としたものとなり理解が深められた。
日本語では主語の省略が多く、特に人称代名詞「私」「あなた」「彼」のような語は本来あまり使われていない。これは文法というより語用の問題だが、人称代名詞を用いずに属性や関係のみを指示する日本語は英語にはない論理性をもっているともいえる。(「きみ」「あなた」「あんた」、隠蔽された主語もyouと訳される恩恵と問題がある。)
一方で、翻訳でかえってわかりにくくなっているテキストがあったり、日本語の微妙な意味合いが失われているケースもあった。
たとえば英語では、「この犬は吠える(犬が吠える)」はThis dog barks.、「犬は吠える」はDogs bark.という具合に、ともに同じ文法構造で言い表される。助詞を持つ日本語は「この犬は吠える(犬が吠える)」と「犬は吠える」の論理的相違を文法に反映させることができるが、英語にはそれがない。
しかし他にも、対象が目前にない場合に一意に指示する表現は、英語ではtheを用いればよいところ、日本語にはその種の便利な品詞がほとんどない。(かろうじて「あの」「その」という連体詞があるが、定冠詞に比べて用法が定式化しておらず、たいてい、修飾部と名詞を分断してしまう)
もちろん、日本語と英語のどちらがより論理的あるいは優勢だということではない。ある特定の自然言語によって運用されている言説が、その言語習慣によって少なからずバイアスを被っていることはいうまでもない。そのたえず変化する日常言語に私たちが浸りきっていることに、十分自覚的でなければいけないということである。(当然、言語が認知や思考に影響を与えるかはまた別の話だ)
…話が逸れてしまった。お勉強はここまでにして感想に戻ろう。
前述のとおり、英語版はオリジナルの原文をすべてそのまま訳しているわけではない。日本語特有の慣用句やギャグは特に訳されず、代わりに英文に特有のギャグが挿入されるケースもあった。(ここでいちいち列挙しない。筆者の過去の画像付きツイート等をご参照いただければと思う)
英語版はオリジナルとは同じようで異なる、新しいバージョンのすばひびと言えるかもしれない。
参照されるテキストの翻訳について
もともと西洋文学・哲学からの引用が多い「素晴らしき日々」。それらの日本語翻訳の出来ばえを、一部の海外ファンは嘆いていた。「元のテキストのニュアンスを正しくとらえているとは思えない」という声も聞かれた。つまり翻訳それ自体はいいのだが、作家が意図したもののすべてをとらえられていないという。
たしかに、鏡の国のアリスやシラノドベルジュラックなどの翻訳は日本語訳としてとても素晴らしいと思うと同時に、今回英語版のすばひびで引用された英訳との乖離を強く感じた。日本語訳はいくぶん強調しすぎるところ、あるいは付け加えたもの、戯曲として歯切れの良い言葉選びがなされている。翻訳を通して、原文のあじわいをすりつぶしているのではないかと危惧されたわけだ。
これについて、そもそも正しい翻訳とは何か?翻訳に際する同義性の基準とはなにか?など(そのような問いがたてられるのかの検討も含めて)問題は目白押しではあるが、ともあれ、翻訳文と原文との間のたしかなズレはあるだろう。だが、そのズレをゼロにする(メタ言語と対象言語の意味は必ず一致しなければいけない)必然性はどこから要請されるのだろうか?はたして言葉の意味の一致(重複?)することは可能であり、また一致していることかどうかを調べる手法が確立されているのだろうか。何らかの翻訳規則や明確な規約が与えられていない限り、どうもそれは無理な要求ではないか。
もちろん誤訳を肯定するわけではない。誤訳は翻訳文と原文との間の、無視できない大きな意味のズレであり、それは原文を離れて新しく生まれた、まったく別物であるからだ。(ある悪名高い翻訳家を念頭にこれを書いている)
無視できない大きな意味のズレでなくとも、私たちが普段使う一部の言葉は、海外から輸入された言葉の翻訳でもある。(たとえば自然nature、概念concept、市民citizen、科学science、神god)これらは互いに意味するものが完全に一致する関係にあるのだろうか。その他にたとえば、和製外来語の例を考えても同じことが言えるだろうか。少なくとも言えることは、それらの言葉は日本語という一つの体系のなかで、その時々の文脈や状況に応じて解釈されていることだろう。重要なのは「互いに意味するものが完全に一致する関係」とは具体的に何を意味しているのかをきちんと説明することだ。そしてこれはすでに哲学者が通った道だ。
では翻訳という行為をもう少し拡張すると、ふたつの言語間の翻訳から、ひとつの言語体系での諸命題の翻訳を想定できるだろうか(この場合解釈とどう異なるのだろうか)。なんだか言語の翻訳という行為はじつはずっとむずかしい問題を抱えているような気がしてくる。この翻訳の不可能性あるいは困難さには、私的言語の問題が見え隠れしている。「私はその語で私の極めて特殊な経験を言い表している」といった哲学的言明は、何も言っていない。何も言おうとしていないこと(彼の言明が何も意味せずナンセンスであるということではなく、端的に彼が何も言おうとしていないということ)を理解していないのだ。そこで示唆されているものが文脈によって明らかにされない場合、聞き手は「君はどういう意味で言ってるのか。君は一体何を言いたいのか」と問う権利が与えられることになる。この立ちはだかる困難さの前で、私たちは言葉と向き合いそれでも何かを翻訳し伝えようと真剣にもがくしかない。しかしそれは、着飾ったごまかしだとか誰かにとっての正しい言葉遣いだとか、そんなものを押し付けることではないはずだ。そしてこれは、私たちのうちの誰もがごく普通の日常会話を実現できている自然的事実をはっきり見渡せば、一見むずかしそうに見えてありふれたことにすぎず、一面の拙いスケッチでしかない。
こうして「翻訳」という、どうやっても原文(対象言語)を歪めてしまう不誠実な行為を、それでもできるかぎり誠実であろうとしていくことで、元になっている意味体験の方へと少しでも近付こうとする、そんな不毛[hopeless]ともいえる際限のない試みとして、筆者は「Wonderful Everyday」というゲームを楽しく読んだ。
まとめ:英語版すばひびの効能
スキルアップ。ちゃんと読めば英文読解が強くなる。英語の言い回し、日本語の言い回しの翻訳を学べる。台詞で対照できる。
強化された演出。二章、三章がモザイクなしでオリジナルより嫌悪感が増加。体調がさらに悪くなりやすい。幸い筆者は「ゆるキャン△」というアニメに出会って救われた。この場を借りて「ゆるキャン△」に感謝したい。
経験値の取得。英文で文学や哲学、数学などの各学問が楽しめる。これにより日本語で書かれた各学問に対しての抵抗を軽減もしくは増加させる。
シンボルの取得。英語版をプレイしたと自慢できる。このシンボルに価値を認めるゲーマーには有益。価値を認めない人は交換不可能な金のエンゼルを手に入れる。
追伸:Radditのすばひびファンが、好奇心で終ノ空OVAをチェックしたそうで、「それがどれほど酷いものか、誰もがそれを見るべきであるぐらい大変面白いです。」と書き込んでいる。 某海外アニメ評価サイトでも10点中2.87点というありさま。ネタで満点をつけている人もいる。歴史は繰り返される。
(2020/06/08追記)大変貴重な(?)終ノ空OVAリアクション動画が「TheAnimeMan」さんのYouTubeチャンネルで見られます。興味のある方はぜひご覧ください。
すばひびHDの噂
以前、人に説明するために作った画像。
今年の夏は何かが起こるかもしれない。
リンク集
私が見つけた海外のすば日々考察・レビューサイトのリンクを張っておきます。ネタバレになる記述もあるので注意されたし。(他にも見つけたという方はツイッタ―等でお知らせくださればリンク貼りますので、ぜひお声掛けいただけたらと思います)
- Steam版発売前
A Tract on Why I Love Subarashiki Hibi – みみドしま
Revel in Life: On Subarashiki Hibi and Obtaining Wonderful Days | one of episodes
- Steam版発売後
[VN] Wonderful Everyday ~Discontinuous Existence~ | Visual novel & other stuff impressions
Explaining Subarashiki Hibi’s Narrative | 空と世界
Subarashiki Hibi Reaction | Suffering Is Moé
[Review] Subarashiki Hibi – Furenzoku Sonzai | gareblogs
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