紙と鉱質インク

これらのスケッチは明暗さまざまな心象を(そのとおり)写実した言語記録(紙と鉱質インク)です

預言を実行せよ #lainTTL

 


Echochamber - I'm Real, I'm Here

 

かつてlainのdvdを手にとったとき、はたしてlainをわたしが所有してよいのだろうかという激しい葛藤に襲われたことがある。誰かがdvdを所有することによってもたらされるlainの偏在化への危惧、群衆への埋没化、閉じられた空間。裏を返せばそれは群衆や集合からこぼれた者を必然的に生み出してしまう。それは、遍在するlainという作品内容と整合しない、ひどく鈍感で不都合なものではないのか。私は恐怖した。

 

現在のインターネットはリアルな日常の延長線に連続する開かれた空間だ。携帯端末などのデバイスを使って配信サービスなどを利用すればいつどこで誰でもlainにアクセス・視聴できる時代になった。偏在化する空間の時代ではなく、遍在化の時代、すなわち時間の時代が世界中で台頭したのだ。

 

時間の時代、すなわち「今」を同時に生きるということで互いに関係を保っている群衆のSNS時代において、lainの特異性はその大部分を失った。しかしむしろそうであるからして、遍在するlainは時間の時代と相性がいい。一部の熱心なファンたちによる二次創作のなかで、長年に渡ってさまざまなコンテクストが誕生し複雑に混ざり合い、ピジンなものからクレオールなものへ・開かれた空間としてlainは受け入れられている。その意味で、lainは間違いなく時代の先を歩いていた。

 

本日、上田プロデューサーによって発表された、二次創作に関する寛大なガイドラインには、作品を細々と楽しんできたファンへのエールが伺える。時間の時代の中で、lainは時間制限付きで遍在する。期間限定で正式に開かれた「lain」はどうなっていくのだろうか。期待と不安を胸に観察を続けたい。

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おまけ

ところで、二次創作のガイドラインに関して去年、「SSSS.GRIDMAN」(以下グリッドマン)ではその曖昧な線引き、個別の問い合わせに対応しないなど、それぞれの事情はあるだろうが、ファンによる二次創作に対して牽制する態度がみられた。

 (強調しておきたいが、私はどちらの立場が良い悪いというお話がしたいわけではない。同じ時代に、作品に対する二次創作の関係についての立場が複数あるという事実に興味がある。)

思えば、「グリッドマン」は偏在化の根源的失敗を描いた作品だった。遍在のSNS時代である「今」を離れて、自分だけのローカル(地域的)な「夢」空間を獲得しようとする新条アカネの物語だ。

表面上でクラスにうまく溶け込む群衆への埋没化を継続しながら、SNSのタイムラインを追うような開かれた「今」ではなく、自分だけの偏在した空間、あらゆることが自分の思い通りになる閉じられた世界の神となったアカネ。彼女は、開かれた時間の時代の中で、「夢」という希望/絶望に乗せて、閉じられた空間の時代を具象化してみせた。

巨大な怪獣がスーパーヒーローと対決しやっつける今時珍しい深夜枠の特撮アニメ。群衆によって悪と呼ばれるものが、善と呼ばれるものに挑みかかる。その内側では、ゆうただけがグリッドマンに変身できる、ジャンクからしかアクセスできない、怪獣の出現による被害などのローカルな偏在化が描かれている。偏在化する空間の時代を「グリッドマン」は遍在する時間の時代の中で復活させている。lainとは真逆をゆく。

閉じられた世界は異世界・開かれた別の空間・つまりエイリアンによって偏在化される。むしろアカネ自ら進んでいった閉じられた空間それ自体が、一つの群衆として機能する。そうなれば時間の時代においても、偏在化は避けられない。群衆への埋没化はますます加速する。彼女は、はじめから、一段高次の群衆からこぼれた者/仲間としてコンテンツとして消費されてしまう。彼女が目指した「夢」空間という偏在化は、エイリアンの存在によって、もうひとつの偏在化にすり替えられてしまう。コンテンツがコンテンツを所有し消費できるかぎり、生き続けようとすることは誰かを殺すことに繋がってしまう。「グリッドマン」がアニメであること、第三の視聴者を想定して作られている事実によって、彼女だけの閉じられた空間は、私達の開かれた空間のなかで消費される運命だったのだ。

運命、それは遍在する開かれた「今」にあらざるをえないという最高度に閉じられた集合、一切のこぼれ者がいない(いたとしても誰にもわからない)集合。まさにそのために、遍在し開かれている<それ>。それは視聴者である「オタク~わたし」ともぴったり一致している…。

 

lainの蟲惑的な声がふたたび聞こえてくる…。