紙と鉱質インク

これらのスケッチは明暗さまざまな心象を(そのとおり)写実した言語記録(紙と鉱質インク)です

欺瞞と不信と信仰と

 

 

椅子が二つ。向かい合うように置いてある。

 

A

他人と話していると、たまに、この人は人間不信なのだろうかと思う人がいる。

実際そうなのかはわからない。

自覚があるのか、ないのかもわからない。

だから言葉に詰まってしまう。

 B

そんなの決まってるじゃないか。

勝ち負けを気にして何かを発言する闘争思想システムみたいなものを、すでに深く内面化しているんだその人は。

A

面白いことを言うね。

もしそうだとしたら、じゃあ何を伝えられるだろう。

私の発言が、もうすでに勝ち負けを前提にして発言していると 穿 うが ってみてくる人に、それ以外他にはないのだと決めてかかる人に向けて何が言えるのだろう。

B

つまり、君はこう言いたいのかい。

まさに、そういうフィルターを通す構造について、あるいはフィルターそのものについて話し合いたいのに、すでにその人はフィルター無しで見ることなど、とても想像できないほどにピッタリと、そのフィルターを剥がすまいと見ている人に向けてどんな言葉をかければいいのだろう、と。

A

フィルターという表現はなんだかしっくりこないな。

B

そうなのか。なんで?

A

だってフィルターってなんのフィルターなの?水とかを 濾過 ろか するもの?光を通すもの?まさか心のフィルターとやらのこと?

いずれにしろ媒介する媒質があらかじめ想定されている。心のフィルターとやらの媒質って何?

B

一度に質問しないでくれ。

まあ比喩だよ。比喩。なんなら認知と言ってもいい。

一つの認知だけをとってる状態。視野が狭い状態とか、多角的ではない状態とか。

フィルターの例で言えば、色の概念なら理解できるんじゃない?子どものころ下敷きを顔の前において赤一色で見たことはあるだろう?それは世界の色の多様さを無視していることになるということさ。

これならどう?

A

うーん。いろいろ言いたいことはあるけどまあいいや話を続けて。

B

つまりその人間不信さんはこういう思考なんじゃないかな。

(少し声の調子を変えながら)「もはや世界全体がフィルターに覆われているから、どうあがいても世界の一部であるこの人もきっとそうなのだろう」

という間に合わせの推論なのだろうよ。

A

世界全体がフィルターに覆われているってつまり世界全体が視野が狭いということ?

さっきの下敷きの例で言えば世界がすべて赤色だからそれ以外の色を想像することもできないということ?

B

そうそう。

A

やっぱりそのたとえはおかしいな。もしも世界が赤一色なら、わたしたちは赤色以外の色を想像なんてできないでしょう。そもそも色という概念と世界という概念を分離できないと思う。いまのわたしたちはそれらを区別する世界に住んでいるからそれを言えるけど。

B

うーん。やっぱり心理学的な認知といったほうが説明としては正しいかもしれないね。

A

そうかもしれない。話を遮ってごめん。実は他にもいろいろ言いたいことあるんだけどまたの機会としよう。

B

いや、いいんだ(まだ続くんだ。めんどくさいなあ)。それで、さっきのはどう思う?

A

もしそうだとすれば、(世界の一部である)その人は(世界の一部である)この私の発言より、世界全体のつじつま合わせを優先していることになる。両方を 天秤 てんびん にかけるまでもない。たしかにそのとおりだ。では(世界の一部である)その人が語る世界全体とはいったいなんだろう?その世界全体とやらにこのわたしは含まれているのだろうか。

B

………

 

Bは瞳を閉じている。考え事をしているような動作。

 

A

いっそのこと、その認知で最も際立つ色や形にでもなればいいのだろうか。その人にとって魅力的に映るだろう人物像を演じればいいのだろうか。一時的にお気に召すことはあるかもしれない。けれど、それがまやかしだとわかった途端に負かされたと思って、ますますその人は闘争思想に執着するだろうか。

まるでごっこ遊びだ。

あるいは互いにごっこ遊びをしていることに気づいて意気投合のふりをするのか。 闘争 ふれあい をするのか。うまく適応しようとすることは管理社会にとって都合がいいと気づきながら。

いや、もしも私自身もその闘争思想システムを無自覚にまったく深く内面化しているとしたら…。まさにこういうふうに考えることが、このようにきみに話してみせることが一種の営業、演技ということになるのか…。

 

B、目をぱっと開く。

 

B’
だとすれば私が私自身を欺けば…。あるいはその人を だま しつづければ…。ごっこ遊びを極めることで芸術的な闘争思想を…。誰にも気づかれないという新たな苦しみを持ちながら…。これはビジネスチャンスかもしれないよ…。

B”

かりに私が私自身を欺くことに成功したとして、私が私自身を欺いた事にいつか気づいたとしたら…。悪夢から醒めた先がもう一つの悪夢かもしれない。そんな根拠はどこにもないけど、かといって否定もできない…。では悪夢だという認識を手放せば…。悪夢ではなくただの夢だという認識をもてば、あるいは…。「現実」とは醒めない夢、世界全体というわたしの夢…。

B'''

そもそも、その人に何かを語ることになぜそこまで気にかけなければいけないのか…。言葉で何かを伝えることになぜそこまで執着するのか…そうだ…営業を、演技をやめたいなら言葉を発することをやめればいい…言語の政治性を、言葉の行為遂行性を無視して何を語ろうというのだろうか…それにしてもいつからあらゆる活動が演技と同一視されるようになったのだろうか…まあいいや…いっそのこと、この認識を手放してしまえば……しかし、どうやって?

 

黙って聞いていたAが搾り出すように語る。

 

A

苦しくなってくる。

いやこの苦しみのほうがまやかしなのだろうか。

いやまやかしだという認識がまやかしなのか。

B'

なるほど。

ユーモアは恐怖を溶かす。
だからまずは笑わせるんだ。

あの震災のとき人々が口々に何かを言いながら少しだけ笑顔だったのを、私は忘れていないからね。
さあ、こうやって見世物をするのさ。

 

イスの背面におかしな帽子をかぶったドワーフの落書きをしてみせるB’

 

B'
レッツ!ハプニング!

B"
なんておかしな絵だ!はやくSNSにアップロードしなきゃ!
きっとたくさんいいねがもらえる。
エレファント!あ、まちがえた。エクセレント!
おもしろいおもしろい!

B'
トレンド二位ですか。
一位は海外のニュース事件みたいですね。まあ、どうでもいいや。

B'''
…いやほんとうにどうでもいいのか?
そもそもこのトレンドは信用に値するのか?
そうだ、ここにはなにかが秘密が隠されているに違いない…。
私を欺こうとしたってそうはいかないよ。

 

羨望に対する嫉妬やねたみにちがいない。私と同じように平凡であることを嫌っているのだ。それ以外他にはないのだ。そう思ったB'はかまわず話し続ける、

 

B'
きっと明日もこの絵の話題でもちきりでしょう。
承認欲求が満たされてなんて気持ちいいことか。
マーケティング的にも成功ですから一石二鳥というものです。

 

B’、懐からおかしな帽子を取り出してかぶる。

 

B'
このドワーフの帽子は私たちのシンボルなんです。
さあこのオレンジの帽子をかぶってください。
あなたも流行に乗り遅れないように。

 

B'、懐からもう一つの帽子をとりだす。
A、B''' 受け取らない。

 

B'''
…もしも帽子を自分でかぶれない人がいたらどうするのですか?
まさか無理やりかぶせる気ですか。

B'
そんなことはしませんよ。あくまで個人の「自由選択」なのですから、「正しく」選択されたものは尊重しますよ。誓約書にサインすることと同じです。

 

B,B" 帽子を受け取る。

 

B”
ありがとう。なんて素敵な帽子!あなたは素晴らしくおかしな人、いやおかしな素晴らしい人だ。

B’

いえいえ。喜んでいただけてなによりです。
それなら上等な葉っぱと銀の弾丸を特別にお売りしましょう。
ほら、このドワーフが咥えるパイプと右手の拳銃がモチーフです。
初回購入ですからお安くしますよ。SNSでシェアすれば、今なら抽選でプレゼントが当たります。ひょっとしたらお友達はもうご購入されているかもしれませんね。とても売れていますから。ほら、通販サイトでレビュー評価がこんなに…

B
ところでこの帽子は誰に作らせて誰が運んできたものだろう。
なによりオレンジの帽子をかぶることにどんな意味があるのだろう。
見たところ外国製らしいが…。まあ、どうでもいいや。
はて、さっきまで私は何を考えていたのだっけ…。思い出せない…。なにか大事なことのはずなのに。つきまとう忘却にさらされながら、本当に大切なものを抱き続けることはなんて難しいのだろう…。ところでこの番号はなんだろう…称呼番号かな…ずいぶん桁数が大きいな…。

 

Cがまるで最初からいたかのようにAとBの間に立ち発言する。

 

 C

自分らしくあればそれが一番いい、自然でありさえすればそれが一番いいというまやかしも聞こえてくる。(そうすればパフォーマンスを発揮できる。能力や実力を発揮できるという闘争思想を補うものとして。)

自分らしく自然にふるまおうとすれば、かえってぎこちなく不自然で自分らしくなくなる。そういうことがたびたびこの世界ではくり返されている。

自分らしくふるまうことが強要される世界、つまり、自分らしさこそ「価値」あるものだとみんなが賛同する世界は、自分にとって不要なものでしかない。なぜなら自分とはみんなの「価値」ある相対的な在るものではなく絶対的に在るもの、つまり価値以前にこの私であるだからだ。

 

AはCに気づいているのかいないのか、Cの発言を無視して話す。おそらくひとりごとが口をついて出てしまったのだろう。

 

 A

人間不信に陥っているひとにかける言葉の難しさを、私自身が内面に抱いている人間不信に抗いつづけることの難しさを、目の前にいるこの人もどこかで抱えているのだろうか。

B

私の抱える苦しみがあるように、この人の抱える苦しみもあるはずだと、どこかで期待しているの?

B”

その一方で、苦しみがないことをどこかで期待しているの?

B’

だから、それを確かめるために話し合いたい。もっといえば、この不信を解消したいと?他にいくらでも方法はあると思いますよ?まずは「適応」することから始めましょうよ。きっときみには「努力」が足りないんだ。きみの「自己責任」でなんとかしなさい。まずは「病気」を「治療」して社会復帰しなさいな。応援してますよ。後で話を聞かせてください。いいフィードバック「データ」が取れそうですから。

共感も人間的同情もしないしいらないしそんなことされても余計に苦しいだけだから、それがある/ないということだけを実感したい、と?

何をわけのわからないことを言ってるんだ。そんなことより「資産価値」があるかないかですよ。お金にならなければ価値はないのですから。正しいものは美しい。正しくないものは美しくない。「感性」を磨くんですよ。ほら感性を磨ける「健康」食品がここに…いまなら30%オフでお買い得…。

A

一度に質問しないでくれ。

でもそうかもしれない…でも、どうやって?

一人の人間の無限の苦しみが、無数の人々のちっぽけな好奇心を満足させるために消費されているこの世界で、あらゆるものをビジネスとマネジメントに置き換えるこの世界で、あらゆるものを流通した広告・マーケティング化する資本主義ゲーム世界で、あまつさえ模造された新商品も売られているこの世界で、はたしてそんなことが叶うのか…。あらゆるオルタナティブなものが消えた今、「次なるもの」なんて想像できるのか…。

 

とつぜんCは狂ったように怒りだす。話し終えた後、しずかになる。

B、飽きて手遊びをはじめる。

 

C

そもそも、なぜ他人の抱える苦しみの存在を知ろうとするのか。

私はただ自分自身の苦しみに向き合う手立てとなる道を選びとればいいのではないか。

たとえ同じ道をだれひとりとして歩む者がいなくとも、あるいはすべての人が歩んでいようとも、それに全くかかわりなく、そしてこれまで多くの人が歩んでいようとも、あるいはこれまで同じ道を誰ひとりとして歩んだ者がいなくとも、それに全くかかわりなく、歩むべき自分の道を選びとりさえすればいいのではないか。

歩むべき自分の道に近道は存在しない。それぞれの道そのものと、道のりの到達点という結果を混同してはいけない。私は他人の道の到達点から歩みを始めようとしたり、道を割り引いたり、途中で放棄しようとすることをやめなければいけない。そんなことをしても真理からは離れて徒労に終わるだけである。なぜならわたしはわたしであるかぎり、ただわたしの道を歩んでいるのであって、他人の道を歩んでいるのではないからだ。だからこそ私の師は言っておられた、きみは明敏な友を得ることが肝心だ、と。

 

AはCの発言に全く関心を抱かずひたすら思い悩んでいる。

そこにBがとつぜん話しだす。嘲笑と戸惑いが混じった顔。

 

B

なぜわたしは人間不信でなければいけないのか。

わたしが人間不信であることで誰かが利益を得ているとしたら?

B"

いや、私の利益のためにわたしが人間不信のふりをしているとしたら?

B'''

本当にわたしは人間不信なのだろうか。

本当の人間不信なんてあるのだろうか。

B"

なぜ「本当」なんて言葉を使ったのか。

誰かが痛いと声を上げたとき痛みが「ある」のかとたずねるようなものではないか。

B

そもそも私だけの問題なのか…目の前にいるこの人はどうなのだろう?

B’

いや、目の前の人は人間不信なのか…そうだとすればアレを売るには…もっと人間不信を刺激すれば…等々。

 

Bはぶつぶつ呟きながら考え事をはじめる。全員それぞれが一点を見つめてしずかになる。考え事ないしは思い悩んでいる。

沈黙。

とつぜん全員がふっと顔を上げてひとりごとを話し出す。

会話ではなくひとりごと。

 

A

どこかで「人間なるもの」を信じていない一方で、どこかで信じている。

C

どこかで信じたがっている。それが私にとって有用である場合があるから。

B

どこかで信じている一方で、どこかで「人間なるもの」を信じていない。

B’’’

信じることは、はじめから絶滅している。見てのとおりさ。…いや、本当に絶滅しているだろうか?

B'

信じているふりを暫定的にする。それが私にとって有用である限りにおいて。

B”

弾丸と葉っぱは裏切らない。こりゃあいいもんだ…

 

椅子が二つ。向かい合うように置いてあった。椅子の背面におかしな帽子をかぶるドワーフの絵が描かれていた。ドワーフはおどけた表情でただ笑っていた。

ある瞬間の今において、椅子はたしかにある場所を占めていた。椅子だけではなく、椅子のまわりを占める空虚な暗闇までもが、それ自身の場所と、いわば幻想を可能とする空っぽの場所、つまり無の場所と和解したらしく見えた。

 

いつまにか始まった舞台がいつのまにか終わる。 

始まりがあるなら終わりもある。

しかしそれはいつに始まって、いつに終わったのだろうか。

そしてどのように決まるだろうか。

 

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