【2016年】個人的映画ベスト10をまとめてみた
2016年も残りわずかになってきたので、そろそろ今年の個人的映画ベスト10をメモ書き程度にご紹介していきたい。今年映画館で見た新作映画は計38本。
下の画像が公開順にまとめたもの。
同じ映画を2,3回も見たり映画好きの知人と一緒に見ることが多かったため、今年は例年よりやや少なめ。ブログに掲載するのは初めてなのであくまで個人的なものとしてみて頂ければと思います。
記事に書いてない映画で、聞きたいものがあればコメント欄やTwitterでラフにお答えします^^
判定基準は完全に私の主観によるもの。
特に選んだポイントとして
上映後に残る読後感があり余韻を残すこと
映画を引き立てる音楽や物語を最大に生かした演出や技法、テーマ性があること
登場人物・キャラクターが印象的で引き立っていること
を重要視している(と思われ…)
なので、はじめからハッピーエンドが良いだとか、この俳優が嫌いなど、そういった一個人の良し悪しは除いたものになっている(はず)。ただし、上記のポイントに疑問を抱くようなキャスティングやドラマツルギーが未熟だと感じた場合はその限りではないです。
長いね。反省。では、まいりましょう―!!1つ目!
映画『何者』
【あらすじ】
自分が何者であるのか、就職活動を始めた5人の就活生は就活という人生の分岐点を迎える中で友情や恋愛、裏切りといった様々な感情を交錯していく。
そして彼らの青春はそこで幕を閉じ、人生の幕を開けるーー
「桐島、部活やめるってよ」でお馴染みの朝井リョウ小説が原作。直木賞を受賞している。
最後に迎えるカタルシスの素晴らしさがこの映画の見どころ。
ラストに鳴り響く主題歌「NANIMONO(feat. 米津玄師)」は鳥肌もの。登場人物たちの葛藤を見せられたことで生まれた、一見何気ないカットなのに強烈に印象に残る最後のカットは現代の若者たちの心情を豊かに表現している。若者でなくても、そこに表現される人間関係の苦悩や葛藤、自分を見つめ直すことの難しさというものは世代を超えて共通するだろう。
また、人間観察エンタメというジャンルを生みだした新感覚の映像体験は、TwitterなどのSNSとの親和性が非常に高いのもポイント。詳しくはネタバレになるため言えないが、観察対象に観察されていたという恥ずかしさ、もどかしさにも似た感情を、演劇仕立てに展開させることで見事に体験映画として引き出している。こうした映画だからこそできる演出に加え、原作小説の畳みかけるような物語展開で生まれるカタルシスは流石というほかない。
これから就活始める人はもちろん、カタルシスを楽しみたい人にオススメ。自分の就活体験と重ね合わせて見るのも面白いだろう。
エヴォリューション
【あらすじ】(公式サイトより引用)
少年と女性しかいない、人里離れた島に母親と暮らす10歳の二コラ。その島ではすべての少年が奇妙な医療行為の対象となっている。「なにかがおかしい」と異変に気付き始めた二コラは、夜半に出かける母親の後をつける。そこで母親がほかの女性たちと海辺でする「ある行為」を目撃し、秘密を探ろうとしたのが悪夢の始まりだった。
人を選ぶ悪夢のような、どこか美しくもある映画。いろんな意味で説明しずらい映画でもある。正直、気分が悪くなるところが多々あるが、それこそこの映画で表現したかったものであろう。この美しい悪夢は唯一無二の体験。
舞台は少年と女性しかいない島。はじめは美しい海の映像から始まる。水中から太陽を見上げるカットは陸上に憧れを抱くアリエルにも似た気持ちに近い。まるでユートピアのような美しさを持つその穏やかな海は物語後半から次第に波しぶきを上げるカットが挟まれていくことで、少年たちのどこか不安で落ち着かない心情の変化を静かに表現している。
それだけでなく人工物と自然、暗明のコントラスト表現もじつにシリアスで美しい。こうした演出の積み重ねによって、不安定で奇妙な映像表現をじつに巧妙に生みだしている。まるでジョルジョ・デ・キリコ作品のようだ。
奇妙な医療行為を施される少年たち、夜半に海辺に集まる女たち、エヴォリューション(進化)とは何なのか…?真相を知った先に待ち受けるものとは…?
現在公開中。予告編を見て気になった方は見に行ってみてほしい。上映数少ないのでお早めに。場所によって同時上映されている「ネクター」という短編映画も、蜜蜂の女王をモチーフにした異色作であり監督の変態性が良く表れている。*1
キングスグレイブ FFXV
『キングスグレイブ FFXV』 冒頭12分特別公開(英語ボイス/日本語字幕)
【あらすじ】
クリスタルを保有する魔法国家ルシス。
クリスタルを略奪しようと企てるニフルハイム帝国。
両国はあまりにも長い戦いの道のりの歴史を続けていた。
ルシス王国レギス直属の特殊部隊「王の剣」に所属するニックス・ウリックらは
日々迫りくるにニフルハイム軍との戦闘をなんとか退けている戦況にあった。
その圧倒的な戦力の前に、レギスは苦渋の決断を余儀なくされる。
何を守り何のために戦うのか、徐々に見失いつつある戦況下でニックスはルシス王国の存亡をかけた戦いに向かう。
思いのほか良かった映画第一位はこちら
吹替版よりも字幕版の方が良し。いやマスト。声優がどうこう言うと目くじらを立てられそうで怖いが、正直、映像に日本語吹替が負けているという印象。英語版はまさに映画といった感じ。
フルCG映画とは思えないほどの映像美とその完成度の高さ。音楽の構成やカメラアングルなどの演出、各キャラクターも引き立っている。FF特有の魔法やモンスターたちは序盤から登場するのだが違和感を感じさせないのもすごい。ファンタジーというよりも実写映画を見ている気分になる。けれど、新宿を思わせるリアルな街並みとその前衛的なファッションとのギャップにより、これがファンタジーであることを思い出させてくれる。贅沢なコント。
ゲームをプレイする前とした後で映画の印象が異なるのも大きな魅力。メディアミックス展開ならではの関連性が見えてくるだろう。FFを知らない人にも楽しめるつくりになっているのも憎い。
FF15をプレイしたい人、もう遊んだ人は必ず見ておくべき一本。
ズートピア
【あらすじ】(公式サイトより引用)
『ズートピア』――それは、動物たちが人間のように暮らす楽園ズートピアを舞台に、“夢を信じる”ウサギの新米警官ジュディが、“夢を忘れた”キツネの詐欺師ニックとともに、楽園に隠れた驚くべき秘密に挑むファンタジー・アドベンチャー。
夢を信じてあきらめずに進み続ければ、きっと世界は変わる。『アナと雪の女王』、『ベイマックス』に続いてディズニーの新たな歴史を拓く感動のファンタジー・アドベンチャー『ズートピア』が、世界に希望の扉を開く。
こちらも吹替版よりも字幕版の方が良し。
「ディズニー映画だから子供向け」という固定観念とらわれているともったいない!
子どもは子どもで楽しめるし、大人も楽しめる映画。
主人公がそのままアメリカンドリームを夢見るラビットであること。夢を忘れたキツネと自分を重ねてしまう大人は多いのではないだろうか。セリフ回しやキャラクターの個性もしっかりしていて、メッセージ性が強いのも大きい。あのめちゃめちゃ鈍行なナマケモノも最初はイライラしてしまうのだけど、最後の最後は良いキャラでした。笑
ズートピアという動物たちの楽園を舞台とする中で、草食動物と肉食動物との間でトラブルが起こる。まるでそれは現代でもたびたび起こっているアメリカ社会に根付く差別をそのまま描いているかのよう。こうした社会風刺ともとれる意外と深い内容だったりする。もちろんハッピーエンドで終わるディズニー持ち前の明るさは健在。
万人にオススメできるよく練られたアニメ映画。
ボーダーライン
【あらすじ】
麻薬カルテルの取り締まり部隊に配属することとなったアメリカFBIの優秀な捜査官ケイト・メイサー(エミリー・ブラント)は国境地帯で繰り広げられる一触即発の信じがたい光景を目の当たりにする。
ケイトのあずかり知らぬ場所で着々と進行していく麻薬戦争。その善悪にボーダーはあるのか?人の善悪を揺るがしかねない問題作
公式サイトがなぜか積極的にネタバレしているので閲覧注意。しかも見辛い。
原題「SICARO」意味は「暗殺者」
序盤から、緊張感が半端ない。監督はあのドゥニ・ヴィルヌーヴ。現在SF映画の金字塔ブレランの続編「ブレードランナー2049」を製作している実力派である。
なかば置いてけぼりを食らう優秀な捜査官が最後のジグゾーパズルのピースを組み上げた時、はたして見えてくるその善悪にボーダーラインはあるのか?ケイトだけでなく観客にも、それは投げかけられている。これは麻薬カルテルだけに留まる映画ではないことは言っておきたい。
ちなみに、「カルテルランド」という麻薬カルテルを題材にしたドキュメンタリー映画もあったのだが見れずじまい。ちょっと後悔。
エクス・マキナ
【あらすじ】
世界で最もシェアされている検索エンジン大手“ブルーブック”の社員ケイレブは、ある日、自社CEOのネイサンに面会できる抽選に見事当選する。
ネイサンは大統領でさえ会うことが難しい天才プログラマーとして知られており、見渡す限り広大な自然に囲まれた彼の別荘へ一週間の滞在のため向かうことになる。
そこでケイレブを待っていたのは、美しい女性型ロボット“エヴァ”に搭載された世界初の実用レベルとなる人工知能のテストに協力するという、興味深くも不可思議な実験だった……
低予算映画(約2.5億)ではあるものの、そのテーマ性が海外で高く評価され視覚効果賞を受賞した、最新のSFスリラー映画。人工知能と人間の主従関係をめぐる心理戦を描く、それらすべてがアップデートされた物語は思わぬ結末を迎える。より正確に言えば、理系の人が見ても大丈夫なSF作品に仕上がっている。
一昔前のSF映画ではなかった近未来的テーマ性の目新しさと同時に、私たち人間と人間に非常に似たふるまいをする機械との境界をあいまいにしかねない大きな問題を抱えている。なるほど、機械にも発生しかねない倫理的な問題、性別の問題は複雑な課題である。こうした科学的根拠を明確化しつつみせるテーマ性は個人的に意義深い。
例えば映画プラネタリアンでは当たり前のように、人型ロボットがプラネタリウムの案内や接客サービスを行っていたが、そもそも物語的顛末や恣意的誘導が発生しない限り*2、今までのロボットは人型ロボットである必要がまったくなかった。こうしたわたしたちにとってより身近な問題を無視することはSF本来がもつ説得感をなくし、どこか創作物特有のファンタジー要素を含んでしまうことになる。
しかし、エクスマキナはそうした問題と真っ向から対峙している。機械仕掛けの心に人間がそこに本物の心を見いだしてしまう愚かさや困惑、人工知能の賢さや冷たさを常に明示している。そしてそれは逆説的に、わたしたち人間とは何なのか?私たちの意識や思考、他者理解とはいったいどこからやってくるのか?という根源的な問題を浮かび上がらせている。その証拠に、エクスマキナではクリムトによるウィトゲンシュタイン家の末女マルガレーテの肖像が一瞬だけ映るカットがある。彼女は言うまでもなく、かの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの姉である。この映画とウィトゲンシュタイン哲学との関連を見出すのも面白いだろう。
また2014年6月、チューリングテストに始めて合格した人工知能が登場したことがニュースとして取り上げられた*3。もはやSFでは済まされない、現実となりつつある課題を、この映画は私たちの前に突きつけている。
シン・ゴジラ
【あらすじ】(公式パンフレットより要約)
東京湾内羽田沖で漂流中のプレジャーボートが発見された。遺留物と思しきものが残された無人状態の船内。と、その時、駆けつけた海上保安庁職員は奇妙な現象に遭遇する。海面が大きく揺れ、大量の水蒸気が噴出し始めたのだ。
一報を受けた内閣官房副長官らは、危機管理センターで事態の情報取集に奔走する。局地的地震なのか。海底火山噴火なのか。
東京湾内は封鎖。閣僚たちの対策協議が始まる。
特撮怪獣映画の歴史を塗り替えたといってもよい一本。
メカゴジラあたりからおかしくなっていた特撮怪獣ものの映画的地位を一気に引き戻したことも大きい。正直、書くこともないぐらいの傑作。
ゴジラを知らなくとも伝わってくる緻密なシナリオ構成、伏線の数々はネット界隈を中心にたびたび議論が交わされるほど。あまりにリアルな政府対策本部のコミカルな対応も話題になった。
数々のゴジラ映画の原点回帰とも言えるこの映画について、脚本・編集・総監督の庵野秀明は多くを語らない。むしろこの映画を通して語りかけてくる情報量はとてつもないのでつい人と語りたくなるのも魅力の一つかもしれない。
個人的には、一瞬、宮沢賢治の『春と修羅』初版本が映ったことは興味をそそられる。ここでその考察を書いているといつまでたっても終わらなそうなので、またの機会に。いつか「春と修羅」の記事上げたいなぁ。(希望的観測)
永い言い訳
【あらすじ】(公式サイトより引用)
人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(きぬがささちお)は、妻・夏子が旅先で不慮の事故に遭い、親友とともに亡くなった知らせを受ける。その時、不倫相手と密会中だった幸夫は、世間に対しては悲劇の主人公を装いながら、実は涙を流すことすらできない。ある日、妻の親友の遺族――トラック運転手の夫・陽一とその子供たちに出会った幸夫は、ふとした思いつきから幼い彼らの世話を買って出る。保育園に通う灯と妹の世話のため中学受験を諦めようとしていた兄の真平。子供を持たない幸夫は、誰かのために生きる幸せを初めて知り、虚しかった毎日が輝きだすのだが……
原作は小説『永い言い訳』。原作者自らが映画監督・脚本を務めた。主演は「おくりびと」でお馴染みの俳優、本木雅弘。「おくりびと」以来、7年ぶりの主演だそう。(もう7年経ったのか…)そういう文脈で言えば、今作「永い言い訳」は間違いなく「おくりびと」に次ぐ本木雅弘の代表作になっただろう。
一言でいってこの映画は、幸福の先への物語。これでピンときた人は何も情報入れずに見ると良し。正直、予告編も見ない方がいい(リンク貼ってないのはそのため)。あらすじ追うぐらいがちょうど良い。
私の場合、この映画を見たのは偶然でしかなかった。たまたま空き時間にやっていて暇つぶしがてらで見たのだが、完全に打ちのめされた。ああ、これは「あのゲーム」で伝えたかったものの一篇だなあと痛感した。
強い人はね。
逃げずにちゃんと
悲しみと向き合っている。
だから涙が出てくる。
泣いてるから弱いんじゃない。
3か所、印象的なセリフを言う場面があるが、その一つがこれ。「強い人」は逃げるのではなく、弱さを受け入れて前に進む人だということ。
「あの作品」でも語られていた内容。映画ラストで涙が一筋だけ流れたのをはっきり覚えている。本ブログでは特におすすめ。
サウルの息子
【あらすじ】(公式サイトより引用)
1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。サウルは、ハンガリー系のユダヤ人で、ゾンダーコマンドとして働いている。ゾンダーコマンドとは、ナチスが選抜した、同胞であるユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊のことである。彼らはそこで生き延びるためには、人間としての感情を押し殺すしか術が無い。
ある日、サウルは、ガス室で生き残った息子とおぼしき少年を発見する。少年はサウルの目の前ですぐさま殺されてしまうのだが、サウルはなんとかラビ(ユダヤ教の聖職者)を捜し出し、ユダヤ教の教義にのっとって*手厚く埋葬してやろうと、収容所内を奔走する。そんな中、ゾンダーコマンド達の間には収容所脱走計画が秘密裏に進んでいた……。
*ユダヤ教では火葬は死者が復活できないとして禁じられている。
今までのホロコースト映画を根底から覆す演出技法の数々とストーリーテリングの完成度、独自性に脱帽させられた今年一番の衝撃作。
普通の映画の場合、予告編や盗撮防止勧告が流れた後にスクリーンサイズがシネスコまたはピスタサイズ(ワイド)に広がって本編が始まる。しかし、この「サウルの息子」ではキューと画面が縮こまり、いわゆるスタンダードサイズ(一昔の映画で使われた小さいサイズ)の画面が現れる。しかもピンボケ!全くカメラのピントが合っておらず何が写っているのかよくわからない状態で始まる。観客は間違いなく困惑する。どうやら人影らしきものがむこうから近づいてくる。そして画面手前ギリギリまで歩いてきたところで初めてピントが合い、サウルの顔がドアップで映し出される。そのままほとんどサウルの顔や背中にピントを当てたまま物語は進行していくのだ。
このまわりが見えず小さい画面に顔ばかり映す演出によって、今サウルたちが何をやらされているのか観客にはわからない。虐殺された山積みの死体なんかも写っていはいるのだけれどピントが合っていないため肌色のものが床にゴロゴロ落ちていることだけ観客にはわかるのだ。もちろんユダヤ人がガス室で悶え苦しむ声や銃声、叫び声は場内に響き渡る。こうした「見せない演出」もホロコースト映画では斬新であり、効果的に恐怖を掻き立ててくるすさまじい映画である。
サウルたちは同胞のユダヤ人の死体処理を無理やりさせられていた「ゾンダーコマンド」と呼ばれる特殊部隊に所属しており、2,3カ月働かされ続けたあと隠蔽のため抹殺される運命にあった。人間を「部品」として「処理」し続ける収容所は、文字通り「廃棄工場」なのである。そんなサウルたちの2日間を描くこの映画は、まさにゾンダーコマンドを体験する作りとなっている。実際にあったこととは思えない、ホロコーストの残虐性が克明に描かれているという点で、この映画は大変な歴史的価値があるだろう。
人間の尊厳を踏みにじる残虐な行為をさせられ続けたサウルが、自らの命を顧みず息子と思しき遺体を正しく埋葬しようと最後の力を振り絞るその姿に、映画ラストでは間違いなく胸を打たれる。
万人にオススメはできないが、歴史から抹消しようとしたナチスドイツのホロコーストを「正しく」描いたことに称賛せざるを得ない。ハンガリー出身の監督ネメシュ・ラースローはアウシュビッツの生存者のインタビューや文献を読みこの映画を完成させたという。後世の歴史認識に寄せる並々ならぬ信頼感を与える。また、この映画を見てしまうと、今までのホロコースト映画が陳腐に見えてくるほどの衝撃的な体験をするため、ある程度の覚悟が必要であろう。
色々書き殴ったが、とにかく色んな人に見てもらいたい映画
この世界の片隅に
【あらすじ】(公式サイトより引用)
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。
夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。
ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。
1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。
後世に語り継がれるだろう大傑作。サウルの息子がずっと今年一番だと思っていたが僅差で『この世界の片隅に』が優勝。原作マンガは未読ではあったものの、映画を見てからkindleで速攻購入。3回見に行き、見るたびに新しい発見をしている。ダークホースとはまさにこのこと。
太平洋戦争末期から戦後を描いた作品。その舞台は当時軍港として栄えた広島県の呉。アニメで戦争ものといえば「火垂るの墓」を連想する人もいるかもしれないが、そういった戦争の悲惨さや残酷さの一面性を描いた作品では決してない。押し付けがましい反戦映画ではなく、主人公:すずさんの生きる日常がたまたま戦時中であっただけであり、それは現代を生きる私たちとほとんど変わりない。
しかし、日本人なら誰もが知っている1945年(昭和20年)午前8時15分がやってくる。彼女はどう生きていくのか。彼女の生き方を見て、戦後70年以上が経ち平和ボケしたこの日本で(その良し悪しの議論は置いておくとしても)戦争というものをどこか遠い出来事のように感じている人に特にオススメしたい。
公開一週目は公開劇場数わずか63館でしたが、今後公開規模も拡大されるそう。ぜひご家族で見に行っていただきたい作品。観客動員数も40万人を超えたそうでヒット作といって間違いない。(「この世界の片隅に」支えた“ネット出資”|NHK NEWS WEB)
そうなってくると映画では観られなかった部分が見たくなってくる。やや原作ネタバレになるが、じつは海外向けの予告編にすずさんと白木リンが桜の木の上で再会するカットが一瞬だけ写っている。
In This Corner of the World Trailer
これは完成した映画の中では登場しないカット。映画製作の資金不足の影響からやむなくカットされた場面の一つなのだろう。ディレクターズ・カット版に期待したい。