紙と鉱質インク

これらのスケッチは明暗さまざまな心象を(そのとおり)写実した言語記録(紙と鉱質インク)です

サクラノ詩 ZYPRESSEN In Yumi Perspective

サクラノ詩(以下、サク詩)についての考察は、これまで幾度となくされてきた。これまでの考察では、素晴らしき日々をはじめとする、ケロQや枕の他作品との共通項を見いだすこと*1、あるいはウィトゲンシュタインを含む哲学や芸術全般からのアプローチ*2が多かったように思える。

サクラノ詩はそのボリュームから汲み取れるものは大きい。それゆえ、サク詩を可能な限りで多角的にとらえていくことで、その伝えたいこと「瞬間を閉じ込めた永遠」を我々ユーザーは吟味する必要があると考える。ここでは、「文学」というサク詩のもうひとつの側面に着目し、とくに宮沢賢治の思想、詩作、童話、いわゆる宮沢賢治論からサク詩 Ⅲ章ZYPRESSEN・Marchenの新たな視点を与えてみたいと思う(ネタバレ注意)(17169文字)

構成として、はじめに宮沢賢治の恋について記述し、そこから賢治童話「ガドルフの百合」と賢治本人との連環を見いだす。その道程から見えてくる宮沢賢治論の眺望を、川内野優美の眺望点に重ね合わせることで、サクラノ詩の新たな眺望を報告し結びとする。

*1:この記事内容に照らし合わせるなら、たとえば、枕の『向日葵の教会と長い夏休み』ルカ√の終幕でのヘルマンヘッセ著『春の嵐ゲルトルート』についてのテキストが挙げられるだろう。

*2:前期ヴィトゲンシュタインの著作『論理哲学論考』と死後ののちに刊行された『草稿』からのアプローチが多かったように思える。個人的にサク詩に関して言うなら、後期へ変遷・訣別していく中期以降の、あの苦悩するヴィトゲンシュタインの態度の劇的な転換に近いものを感じてならない。それゆえに、サク詩のテーマは『素晴らしき日々』 の “幸福に生きよ” のその先、言い換えれば、梯子としての『素晴らしき日々』を登った先を目指した途上にあるといえる。(それが果たして完全に成し遂げられたかどうかは、ユーザーひとり々々の心象風景に依拠する。そうした意味で筆者は、サク詩が人を選ばせる作品であると考える。)

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