紙と鉱質インク

これらのスケッチは明暗さまざまな心象を(そのとおり)写実した言語記録(紙と鉱質インク)です

【プレイ感想】 生命のスペア 製品版

「これは、大切な人のための物語」

生命いのちのスペア』を全クリアしたので感想・考察を綴る。(4420字)

生命のスペアはあかべえそふとすりぃの新作。ミドルプライスで、税抜4,800円。手頃な価格で楽しめた。メーカーさんは過去に『できない私が、くり返す。』(以下できわた)という泣きゲーも販売しているため、どうしても比較されがちな本作。シナリオライターも同じであり今作も泣きゲーである。

一本道で、攻略ヒロインは『夙川しゅくがわ恵璃めぐり』のみ。Hシーンが7シーンとやや多めで驚きだったが、最期の方のHシーンとか切なすぎて・・・。サウンドも西坂さんの悲壮感あるピアノ曲が多めであざとい。そのへんは同じミドルプライスの『ぼくの一人戦争』(以下ぼく戦)と似ている。

家族愛死生観命の重みを考えさせてくれる作品。できわたやぼく戦とやや毛色が違い、ある意味オーソドックスな内容。でもミドルプライスとして鑑みれば十分良作だった。プレイ時間も長くない。むしろ短いが、大事なことはコンパクトにしっかり詰まっている。ストレートで胸に染みこむ良作でした。

とまあ、なるべく短く書いていきたい。(ネタバレ注意

『生命のスペア』を応援しています!

ダウンロード販売

選択肢:なし

総プレイ時間:14h(=体験版(3h)+本編(11h))

発売日:2016年8月26日

Hシーン:計7シーン(H恵璃のみ+璃亜オナ二ー含む)

修正パッチありVer.1.02 (2019.09.27)

『生命のスペア』OPムービー

生命いのちは」   吉野弘


生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も  あるとき
誰かのための(あぶ)だったろう

あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない

 

吉野弘詩集(ハルキ文庫)

見どころ

本作は、できわたのように主人公が死の運命にあらがおうと時間を巻き戻し決意するわけではない。一種、達観し生きることを諦めた心持ちで、病苦に苛まれながら残り少ない余生を過ごすヒロイン:恵璃と主人公:竜次が描かれている。必要とし、必要とされる中で、次第に変容していく2人の物語が今作の見どころの一つといえる。

そのため、初めから答えはすでに出ている。それはわりとOPや体験版でネタバレされていて、選択肢は存在せずストレートに描かれる。つまり変化球ではなく、ストレートに誰かが死ぬ泣きゲー。何か奇跡が起きてほしい、神さまに助けてほしいと祈る登場人物たちは見ていて痛ましい。正直に言えば、ここまでなら他作品でも散々見てきた内容であり、良作には及ばなかったように思う。

今作は「生命のスペア」という生命倫理を孕む問題、あるいはそれと関連した親の愛情という問題が入ることで、死生観や命の重みをより強固にしている。つまり、デザイナーベイビーとその両親の存在が大きな役割を果たしている。が、所々じっくり見たい場面、或いは説明してほしい場面があったことを先に述べておく。

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生命とは

死を恐れる少女と、死を望む妹。その根底にあるのは生命の重み「生命とは何か」という問いにある。そこに生きる意味であったり、存在する理由、価値を見いだしていく。

ヒロインの妹:璃亜はデザイナーベイビーとして「生まれさせられた」存在。初め親の愛情なしに「作られた」自分は、病魔に侵される大好きな姉を救うために死を望む。生命を失うために生まれたことを自覚し、死ぬための存在理由をもつ。

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彼女に死ぬなと言うことは、自分の存在理由を奪うことであり、「勝手なことを言うな」という感情を持つ。悲しみや怒りの感情を露出しているのも頷ける。そこに親の愛情や姉の想い、前を向いて生きてほしいという想いを自覚した時、初めてその存在理由から解放される。「あなたが生きて」の「あなた」は璃亜のことを指すのだろう。

デザイナーベイビーでなくとも、私たちは多かれ少なかれ、必ず死ぬ。では、そもそもなぜ私たちは生まれたのか?なぜ生きるのか?私たちの役目なんてものがあるのだろうか?

私は、なぜ生まれたのか

竜次『必要がないのなら、最初から、産まなきゃいいのに。避妊に失敗してできた子供なら、とっとと気づいて、中絶するべきだったんだ』

人間は生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね

I was born:吉野弘

「私が生まれた」とは英語で、「I was born」という。しかし、読み方を変えれば、これは受身形であるから「私は生まれさせられた」とも読める。

生命のスペアの副題「I was born for you」とは、「私はあなたのために生まれた」という意味を持つ。これは璃亜の立場に立った言葉。恵璃のスペアとして「生まれさせられた」となる。しかし、本来は「I was born for you」の、「for you」には「by mother」が入るべきだろう。母体である、母親や父親の存在は切っても切り離せない私「I」である。

ここで「I was born 」という吉野弘散文詩と関連を見いだすことができる。ここでは体験版のときの雑記にまとめてあるので、細かくこの作品についての説明を省く。

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つまり、親と子の関係性、家族の愛が根底にあり、璃亜や恵璃とその両親の関係性、竜次とかぼちゃの煮つけにつながる。生まれる、生まれさせられたとは立場の相違でしかなく、親から見れば、愛情や祝福を受けて、子どもは生まれる。生まれさせられたとは、親から見れば残酷な言葉だ。デザイナーベイビーとして「生まれさせられた」璃亜は、必ずしも初めは愛情や祝福を受けてはいなかった。姉の生命のスペアという自覚のもと今まで生きてきた中で、ゆがんだ生命倫理観をもってしまった理由でもある。しかし、両親の心情は次第に変化し、本当の娘としてたしかに愛し、その成長を喜び祝福するようになる。「あなたは、代わりじゃない」「あなたが、生きて。」そんなメッセージを璃亜は恵璃から受けとり、家族に愛された正しいあるべき生き方を歩んでいく。見方を変えれば、ある意味、『生命のスペア』は璃亜の生き方を示した作品だといえるかもしれない。

生命は、次の世代の命を生み出すためだけに、切なく存在している。もし、そう認識するなら、たしかに「<私たちは、なぜ生まれるのか>という問いが作品の基底に」孕まれるということになるだろう。そして、その回答は、問い自体の出所地に、すでに存在している。この問いを自ら問い、この問いに自ら答えた者は、 むしろある意味ではすっきりするのだろう。吉野弘の詩 「I was born」 について

つまり、「私はなぜ生まれたのか」と自ら問うこと自体が、かえって「私が生まれた」意義を見いだすことができるのかもしれない。もちろん、それに回答があるようには思われない。「実存とは、いまここから次のいまここへと超え出ることである。」というように、これを存在理由や実存を問う作品だと看做して語っているからである。これは、生命のスペアでも同じことだ。

端的に行ってしまえば、「I was born 」という作品の勘どころは、思春期の少年が<生>=<性>に対して抱く慄きのリアルさにある。・・・それは、自分がなぜ存在しているのかというような哲学的な問い(いいかえれば実存的な問い)の悩ましさというよりも、ひとまずは、きわめて切ない命の感受であり、そして強くて醜い情欲的な震えのようなものだ。
そして、その慄きは、すぐさま、「I was born 」という構文が隠蔽しているもの、すなわち「だれによって産まれたのか」という本質的な問いを抉り出す。それは、自分を産んだ存在=母への憧憬と畏れとに、少年を直面させる。その生々しさが、この作品の命だといえる。吉野弘の詩 「I was born」 について

巡り会いと対話

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俺が優先するのは、恵璃の意志

恵璃『私にはどんな薬よりも、竜次の存在が一番効くのかも』

恵璃『本当だよ……私には竜次が必要』

前にも言われた”必要”という言葉が、心の中に染みたーー

 冒頭、桜の季節から始まる。主人公竜次と恵璃は既に知り合って1年が経っている。互いへの想いは、ほぼ家族以上のパラメータでスタートする。ミドルプライスとは云え、どういう過程があったのか、気になった点だった。

竜次は家族のような心の拠り所=恵璃を必要とし、恵璃は最期まで一緒にいることを許してもらえる存在=竜次を必要とする。互いに欠如を抱き、求め合い必要とすることで、「私が生まれた」意義を教えてくれるように思える。途中、恵璃は死の恐怖から快楽に溺れ、竜次を必要ではなく利用してしまう自分に自己嫌悪や懐疑心に苛まれるが、本当の愛に気付くことができた。もともとは造花のような作り物で偽物ものだった関係は、次第に本物に変わっていく。痛みを重ね過ごす世界で、最期の瞬間まであなたと2人で在りたい・・・。まるで満開の桜が散るその瞬間まで。ここに冒頭に紹介した吉野弘の「生命は」という散文詩と関連を感じる。

吉野弘の「生命は」という散文詩は、足りない同士の、対の存在関係を端的に示している。互いが互いを必要とし、知りもせず、知らされもせず欠如を満たす虫や風と花の関係が示される。ときに疎ましく思えたり、無関心でいられる間柄。そのように、世界はゆるやかに構成されている。

それでも生命は、その中に欠如を抱き、足りない部分を他者から満たしてもらうのだという 。初めは病という名の虻だけだったのが、好きだと伝えあい、言葉を重ね歩く日々が始まり、花と花の間を走る風となった。たとえそれが傷を生んでもずっと傍にありたい。そんな竜次と恵璃の関係性だ。

もし、世界が他者の総和であるのなら、「出会えたことがしあわせ」であり、奇蹟だ。この広大な世界の中で、いつか散っていく命であると知りながら、二人が互いに想いを咲かせることもまた幸せであり、奇蹟ということになる。まさに、恵璃と竜次の関係そのものだろう。

生命のスペアの副題「I was born for you」に新たな意味が加わる瞬間だった。

最後に

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↑パッケージが凝ってて開けるとビックリする。ピンクは自主規制

生と死、その対比によりどちらも輝いて見える。桜の美しさを生み出すために、死の象徴である屍体を置く。その儚さと、その一瞬の美しさ。まるで梶井基次郎のようなED構成。体験版のときからわかっていたけれど、泣いてしまう。透明な水が目から流れた。夢と重ねてきたのはサクラノ詩を意識してのことか?と勘ぐってみたが、おそらく違うだろうね。

粗を探せば、たしかに多く見られた。例えば、桜紋病の扱いや、竜次父の振る舞い、璃亜と恵璃の和解場面、竜次と恵璃の軌跡など、じっくり見たい、或いは説明してほしい場面は正直ある。

けれど、ミドルプライスとして鑑みれば十分良作でした。

 

追記

祝婚歌」   吉野弘

 

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい


二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい


正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい


健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい