紙と鉱質インク

これらのスケッチは明暗さまざまな心象を(そのとおり)写実した言語記録(紙と鉱質インク)です

詩人エミリ・ディキンスンの関連本を紹介してみた

こんばんは。ホワイトチョコです。最近ふと名前が長いなぁとおもいまして(いまさら?)「白チョコ」と名乗ってもいいかなあ、と考えている今日この頃です。どうでもいいですね

さて、今回は近日公開される映画『静かなる情熱 エミリディキンスン』公開に際して、復習がてら手元にある書物を拾い読みしつつ、いい機会なので一部をご紹介しようかなと思い立ちました。

  映画についての記事はこちら➡

monpanache.hatenablog.com

 PCゲーム「サクラノ詩」「素晴らしき日々」で頻繁にその詩が引用される人であるため、それらの作品群とも絡めながら書いていこうと思います。

この記事に需要があるのか、正直わかりませんが、参考までに留めてもらえたらと思います。

エミリ・ディキンスン評伝

著:T.H.ジョンスン,訳:新倉俊一,鵜野ひろ子

まずは、これ。数多くの出版された伝記ものの中で突出した記念碑的著作。

定本『エミリ・ディキンスン詩集』および『エミリ・ディキンスン書簡集』の編者として、精巧かつ広域のまなざしを持った、著:T.H.ジョンスンによる評伝。ディキンスンを詳細に知りたい人は、一番に読むべき著作

PCゲーム『素晴らしき日々~不連続存在~』(以下、すばひび)『サクラノ詩~櫻の森の上を舞う~』(以下、サク詩)に関する考察本にも適しており、その関連も随所に見られる。

たとえば、第二部「可能性と住人」ではサク詩考察の最良のテキストになりうる「芸術家」や「美」について述べられているだろうし、第三部「洪水の主題」ではすばひびにおける「幽霊屋敷(論理哲学論考5.631-5.634における、『主体は世界に存在しない。』という命題)の補強」や「死」「不滅(永遠性・愛)」についても同様に述べられている。これらは、大別されることなく、相互に連関しながら評伝されている。その点でも、高印象。

6月ごろにジュンク堂本店へ立ち寄った時には本書が陳列されていたので、お近くにお住いの人は機会あれば立ち読みしてみてほしい。

エミリ・ディキンスン評伝 (1985年)

エミリ・ディキンスン評伝 (1985年)

 

 

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉

訳:亀井俊介

おそらく、多くの人がはじめにこの本から入ってディキンスンを知ることになる著作。入門書として最適な一冊

対訳形式で原文・日本語訳文どちらも見開きで相互に対照できる点が魅力的。文庫本サイズで持ち運びしやすく、電車で読んでたらカッコいい……。(個人的な話)

ただし、J.632『脳は、空より広い』J.657『私は可能性のなかに住んでいる』は収録されていない。

亀井さんらしい、丁寧な解説と脚注で、押さえておきたいポイントが明瞭。この本が気にいった方は、同じ岩波文庫の「アメリカ名詩選」も買うと良し。こちらは、アメリカの名詩100編を集めたもので、ディキンスンに限らず四十数人の詩人を収録。アメリカ詩の世界に浸ることが出来る良書。

 

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

 
アメリカ名詩選 (岩波文庫)

アメリカ名詩選 (岩波文庫)

 

 

ディキンスン詩集

訳:新倉俊一日夏耿之介,安藤一郎

映画公開に先立って、先日(7/1)から再販された訳本。映画で引用される詩はどうやら、新倉俊一氏による日本語訳文が多いため、ぜひ読んでおきたい一冊。

すばひび発売直後から徐々に高額転売されるようになった本冊は、ファンには馴染み深い一冊であろう。しかしJ.632『脳は、空より広い』は収録されておらず、J.657『私は可能性のなかに住んでいる』は収録されている。

ディキンスン詩に特徴的なダッシュを種々の説を考慮し省略した小話を含め、新倉氏の翻訳は、編者として翻訳の意義や立ち位置を理解し、その鮮度を落とさぬようにと慎重に紡いだ気配りに信頼感がもてる

ちなみに、新倉氏は日本のディキンスン詩研究の第一人者のひとりである。他著作「エミリ・ディキンスン■研究と詩抄■」などでは、1960年代からいち早くディキンスンに注目していた研究者であり、1955年に完本がでた時代背景を考えれば、彼の著書群を読むことはディキンスン詩研究の第一歩であろう。

付録に海外のエミリ・ディキンソン論が収められており、「研究と詩抄」でも、自身の論考とともに収録されている。若き研究者は両冊必読。

 

ディキンスン詩集 (海外詩文庫)

ディキンスン詩集 (海外詩文庫)

 
エミリ・ディキンソン―研究と詩抄 (1962年)

エミリ・ディキンソン―研究と詩抄 (1962年)

 

 

ディキンソン詩選

著:新倉俊一

前冊が日本語訳の精選詩集に対して、この詩選は原文の精選詩集である。1967年初版。選ばれた詩も、とくに前冊を意識して同じものが選ばれているわけではないが、一部でも原文に触れたい人にはオススメ

後頁を割いて著者のコメントが一つ一つの詩に対して記載されており、訳出に役立ちそうなものが多い。自身で翻訳に挑戦してみたい人には参考になるかもしれない。

余談だが、これを読むとなんとなくルー大柴を彷彿とさせる気がしてならない。

p.vii INTRODUCTIONより引用

ついで彼女の詩的 image についてふれておくと、その主要な源泉は聖書と家具・布地、それに New England の自然であったと言うことが出来る。 Dickinson は抽象概念をごく卑近な具象的なものと結びつけて、しばしば見事な詩的 image をつくる。たとえば、……

ディキンソン詩選 (研究社小英文叢書 (188))

ディキンソン詩選 (研究社小英文叢書 (188))

 

 

エミリ・ディキンスンを読む

著:岩田典子

 厳選した三十二篇の日本語訳詩+原文詩からエミリディキンスンの心象をとらえた考察つき訳本。ではなく、「岩田典子」によるエミリディキンスン詩の読書感想文つき訳本といった方が正しい。

つまり、「岩田典子」の主観的な読解の側面が強い解説本であり、そうした灰汁の強い読解的視点により、これを入門書とするにはやや適さないと思われる。

サク詩に登場する「わたしは可能性に住んでいる」が収録されている。読んでみた限り、あまりサク詩考察には向かないと個人的に感じる。「岩田典子」がどう読んだのか気になる人なら、買ってみても良いかもしれない。

ちなみに、他著作「エミリー・ディキンソン―わたしは可能性に住んでいる」も同様の傾向があり、ディキンスンの実家を実際に訪れた体験から、『その生涯を振り返ってみたい衝動に駆られた』と書かれているが、こうした事は本来「はじめ」に書かれるべきことが「あとがき」に書かれているなど、あまり読み手を意識していない構成であり、不信感をもつ。高額書であり「岩田典子」の読みに共感した人なら買ってもいい気はする。個人的に、オススメはしない。

 

エミリ・ディキンスンを読む

エミリ・ディキンスンを読む

 
エミリー・ディキンソン―わたしは可能性に住んでいる

エミリー・ディキンソン―わたしは可能性に住んでいる

 

 

自然と愛と孤独と―エミリ・ディキンスン詩集〈第1-4集〉

訳:中島完

中島完による日本語訳本。新倉氏とは違う日本語訳が読みたい人にオススメ

第1-4集まであり、すべて合わせて546篇、全体の約三分の一を網羅できる(ディキンスン詩のボリュームに驚くべきかもしれない)。一部絶版本もあるため全篇収集は困難だが、訳注や詩番号索引、テーマ別カテゴライズがされており読みやすい上にちょっとした字引になりうる。「読みやすさ」が読書の必要条件であることを教えてくれる訳本。

 

自然と愛と孤独と 続―詩集

自然と愛と孤独と 続―詩集

 
自然と愛と孤独と―エミリ・ディキンスン詩集〈第4集〉

自然と愛と孤独と―エミリ・ディキンスン詩集〈第4集〉

 

 

エミリー・ディキンスン―不在の肖像

著:新倉俊一

はしがきp.5より引用

ディキンスンの詩や手紙には、いわゆる恋人ばかりでなく、神や永遠などさまざまな不在が、「空虚」「亀裂」「喪失」「死」それに「蝕」といった記号で暗示されている。彼女は若いときから心の中の「うずく空虚」(L-10)を訴え、生涯を通じてこの「顕著な不在者」(P-339)を歌いつづけた。……略……本書の題名をディキンスンが抱え込んだ<不在>の<エクリチュール>と解釈してくださっても、わたしには異論はない。本書は主に、リオタールの言う近代の<大きな物語>の不在との格闘を扱っているからである。

はしがきにこう述べられているように、ディキンスンの本当の姿を追跡するため、書かれた言葉、<詩作行為>(エクリチュールとしての詩や手紙のテクスト)を通じて考察された研究書である。

他の詩人のみならず、哲学(ショーペンハウアー〔意志と表象としての世界〕、プラトンパイドロス〕etc.)や宗教(旧約聖書〔ダニエル書〕etc.)、言語学ソシュール〔シニフィカシオンetc.〕)、心理学(フロイト)、文学(メルヴィル〔白鯨〕宮沢賢治春と修羅〕etc.)からの幅広い分野に目配らせがなされており、読みごたえがある。

扱うテーマも興味深いものばかりで、「表現者の主体からの眺め」「解釈者としての客体の世界」「書くという行為そのものについて」「次世代とのテクストの相互関連性」を取り上げている。特に、前半3つはすばひびやサク詩考察の補助になりうるだろう。

1986年5月にワシントンで催された生誕百年記念祭で発表された論考であり、ディキンスンに興味がある人なら一読の価値はある

 

エミリー・ディキンスン―不在の肖像

エミリー・ディキンスン―不在の肖像

 

 

その他『脳科学系』

ここまで読んでもらった一部のすばひびファン読者には、ふと不思議に思うかもしれない。J.632『脳は、空より広い』の引用元はどこなのか?と。

それは「脳」という言葉がヒントになるだろう。

すばひびで引用された詩『脳は、空より広い』は、実は脳神経科学の本からとられている。エーデルマンの著書『脳は空より広いか―「私」という現象を考える』である。

この著書は「ダイナミック・コア」という概念を導入して人間の脳と「意識」「クオリア」についての諸論考を記述した脳科学本である。哲学でも論じられる「心身問題」「主観としての意識」も議論されており、すばひびに登場した難問が待っている。

脳は空より広いか―「私」という現象を考える

脳は空より広いか―「私」という現象を考える

 

 他にも、神経生理学の本でディキンンスン詩が引用されているアラン・ボブソンの「夢に迷う脳」がある。こちらは、中林孝雄訳の『頭脳は――空よりも広い――』が採用されている。

夢に迷う脳――夜ごと心はどこへ行く?

夢に迷う脳――夜ごと心はどこへ行く?

 

神経科学本関連でいえば、ラマチャンドランの本も面白かった。芸術や言語、共感覚に関心があるひとはどうぞ。

脳のなかの幽霊 (角川文庫)

脳のなかの幽霊 (角川文庫)

 
脳のなかの天使

脳のなかの天使

 

 あとがき

最後はディキンンスンを離れましたが、いかがだったでしょうか。脳科学に限らず、他にも演劇が作られたり、小説が生まれたりしているディキンスン詩の世界。

考えてみれば、ひとりの女流詩人の言葉一つで、これだけ多くのひとの共感や反響を集めるポテンシャルはおそろしくも素晴らしいことではないでしょうか。

近日公開の映画を楽しみにしつつ、読書でもしますかね。

では、またお会いましょうノシ(5237文字)

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